アタシッテ小学校5年まで一人っ子の時期が続いた。両親にとって、初めての子供だったあたしは、いつも「いい子」だった。 というよりも、一生懸命「いい子」を演じていた。 うーんこれも違うな。「いい子」であることが善であると思っていた。 小学校に入ってからも、先生に好かれようと「いい子」であった。 ところが、出る杭は打たれるのたとえ通り、「いい子ぶってる」 「ごますり」などなどetc。同級生たちの目からみれば、「いい子」は 必ずしも「善」ではないのだと気づいたときには、いじめの対象となっていた。 中高一貫の私立の女子校へ入学して、 も一度友人関係を白紙の状態ではじめることになる。 だけど、学習が足りなかったと見えて 再びいじめに。 高校生になる頃には、自己主張をしない、長いものには巻かれろということをようやく学習する。 女だけの集団の派閥というのも、あたしは好きじゃない。 一緒にトイレについていかなかったら、冷たいとかなんとか。 お腹のなかではもぉうんざりだった。 このまま女子大へ行って10年間も女子校生活するのは、 想像するだけでも、鳥肌モノで とにかく勉強して共学の大学へ進学。 中学・高校を女子校で過ごしたあたしにとって 共学のキャンパスライフは新鮮だった。 だけど、同世代の 男が どういうものかって まったくわからなかった。 わからなかったからこそ、男とはかくあるべきという 理想ができてしまってたらしい。 今でこそ、男の方がずっと 女に比べて子供なんだなって思えるけど。 やがて二つ年上の先輩とつきあうようになった。 でも、本当に好きだった人には受け入れてもらえなかった。 その喪失感を埋めるために、手近な先輩と付き合いだしたのがほんと。 それ以来、あたしは、彼氏がいないという状態に陥ったことがない。 本来なら一つの恋愛を終えて、自分自身を見直したり、いろいろと考える時間があってしかるべきなのだけれど。 あたしはそれが怖かった。だから一つの恋が終わりそうになると、別の誰かに依存してしまう。そして、ずるずるとつきあいがはじまる。 恋愛依存症とでもいえばいいのだろうか。 他人からの評価つまり、「愛されてる」という物差しで自分の存在意義を確かめてた。 これは結婚してからでも変わらなかった。ダンナさんとは歳が離れているせいもあり、 保護者的な、ある意味父子家庭状態。 そんな中であるとき手痛いしっぺ返しをくらった。 当時付き合ってた男性ととんでもない別れ方をした。 直接的にはそれがトリガー。 それ以前にも、毎年一年更新の非常勤勤務をしていたので、 更新が近づくと、イライラして、今思えば過剰な不安神経症だった。 そのうち、仕事いきたくない状態が、突発的に増えた。 感情のコントロールができなくなった。 ところかまわず、涙がとまらない。 胃けいれんのような胃の痛み。 過呼吸 検査もひととおりしたが、どこも悪くない。 小さい時から通い慣れてるお医者さん とにかく、安定剤が欲しかった。 「どうしました?」 優しくきかれただけで、涙がとまらなかった。 そのときその先生は「心も風邪をひくことがあるんですよ」 そして、「心療内科」の門を叩くことになる。 |